今日のテーマは「貧すりゃ鈍」!
くら寿司のビッくらポン!みたいなフレーズでかわいいです・・・
いや、音が似てるだけですがね。
正確には「貧すれば鈍する」という言葉なんですけどもその意味は
「貧乏になると性質や頭の働きまでも鈍くなり、貧乏するとどんな人でもさもしい心をもつようになる。」です。
さもしいというのはあまり耳慣れないかもしれませんが「心がきたなく卑しい。あさましい。」って意味です。
つまり極端な話、お金がないと頭や性格が悪くなるってことです。
これって昔私は銀行強盗とか犯罪者だけに使う言葉なのだろうと思ってたんですが、普通の人にも当てはまるんですよね。
というより、私が完全にそれだったんですけど。
いや、私が犯罪者だったって話じゃないですよ?(笑)
えっとですね、私、昔かなりお金に困ってた時期があったんです。
社会人2年目くらいから10年くらい勤めてた会社だったんですけどこの間もうずっと貧乏!
それはそれは大がつくほどの貧乏!大、大、大貧乏!
当時の会社の給料はバイトやってたほうがまだマシってくらいの薄給でいわゆるワーキングプアに陥ってたんですよ。
で、なんでそんな会社でずっとやってたのかーなんですが、今でも覚えてます。あの面接で発した言葉。
面接官(なんと社長と専務):「君の強みって何?」
私:「私の強みはバイタリティとポテンシャルです!(キリッ」
面接官:「頼もしいねー。この業界初めてみたいだけど自分の価値どのくらいだと思う?給料どの程度にしようか?」
私:「私は若いですし、逆境にも強いですし、最初の給料がどんなに安かろうとすぐに高くして見せますよ!(キリッ」
なんて意気揚々と誇らしげに話したのが運の尽き。
その結果、会社から提示された月の給与額は額面にして驚きの
15万円
ここから私の転落人生が始まったのです・・・
それからというものはそれはそれは酷いものでした。
1年たっても2年たっても5年たっても私は一向に成果を出せず鳴かず飛ばずでおまけに不況の波のあおりも受けて、ほとんど給料は上がらなかったのです。
30歳になっても年収は230万程度。
このまま一生を終えるのかと思うと自らの境遇と無力さに段々腹が立ってきていつもイライラしてました。
そのイライラは他の社員にも伝わって特に当時の上司からは完全に目の敵にされてましたね。
この時まさに貧すりゃ鈍。
上司と顧客から日常的に罵倒されて卑屈になって最初あんなに高かった自己肯定感は完全に地の底を這っていました。
自分にもっとお金があれば働かずに済むのに・・・こんな目に遭わずに済むのに・・・毎日そう思ってましたね。
さっさと辞めてしまったらよかったのですが自分に対する相当な無力感があったので転職先なんてないと思ってましたし、半分やけくそで維持になってた部分もありましたので辞めるという選択肢はこの時はありませんでした。
まさに貧すりゃ鈍。
このままじゃダメだと思って今やってる副業を始めたのがちょうど30歳のこの頃。
しかし副業初めて5年くらいやっても全然ダメだったし、本業も相変わらずのパワハラとクレームでストレスが極まって精神的にも肉体的にんでもう限界ってところで半ば喧嘩別れに近い形でその会社とお別れしました。
転機はそこでした。
転職先の会社に勤め始めたころから副業の収入が徐々に増えていき、また、環境が変わったことで人間関係も刷新されてそれまでのストレスが少しずつ和らいできたのです。
しかし、最初の転職先では部下とのそりが合わずにその会社もほどなくして退社。
その次の会社では同僚とそりが合わず・・・
そんな感じでいくつかの会社を転々としていったのです。
人間関係の悩みは尽きませんでしたが、ただ、もう絶対にお金に苦労したくないという思いから、転職するたびに入社面接の際に市場価値に見合った適正な年収を希望することで年収を上げていくことだけは徹底していました。
そうやって行きついた先が今の会社になります。
ここに来た時点で副業である程度の収入を得ることができていたのでそろそろ会社員も卒業かな、ってことで、新しい職場ではちょっと学んですぐにフリーランスに転身する予定でした。
そうやってある程度の年収に達したとき、ふと気づいたのです。
以前のようなストレスがもうほとんどなかったのです。
お金に困っておらずいつでも会社を辞めることができる余裕からなのかとてもリラックスして仕事にあたれるのです。
そして、不思議と緊迫した状態よりもそういう気楽な状態で仕事をするほうがパフォーマンスが上がるのです。
ということで、私は実体験から貧する(お金がない)と鈍する(頭や性格が悪くなる)のはガチだと思ってます。
今回はそういう話でした。
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