(なるほどなー。確かにそうかもしれん。)
誰から聞いたか忘れましたがこの言葉を初めて聞いた時そうやって妙に納得したのを覚えてます。
調べてみるとアメリカの起業家のジム・ローンって人が言った言葉らしいです。
その意味はつまり「人は周囲の影響を強く受ける」ってことですね。
一理あると思います。
例えば音楽。
私の場合、幼い頃は兄が聞く曲が非常に好きでした。
渡辺美里、TWO-MIX、大黒摩季 などなど。
高校の頃、当時仲の良かった友達の家でGLAYがよく流れてて気づいたらカラオケで歌うくらい好きになってましたし、大学ではジャズ研のサークルに入ってジャズにどっぷりつかってましたね。
振り返ってみると、自分から選んで好きになった音楽のほうが少なかった気がします。
言葉遣いなんかも影響しますね。
今でこそ丁寧な言葉遣いができるようになりましたが、昔はこんな感じではありませんでした。
おそらく当時の仕事上のパートナーの影響によるものですね。
あとは性格とかでしょうか。
パリピにはパリピが、オタクにはオタクが吸い寄せられるように一種の引き寄せの法則のようなものな働きもあるかもしれませんが、オタクがパリピに感化されて変化するというのもあります。
逆もまた然り。
で、何が言いたいのかというと自分という存在、自分が自分であるという感覚、それは本当にあるのだろうかってことです。
なんか妙なことを言い出してすみません(笑)
何でこんなことを考えてしまったのかというと、私が以前AIの資格を取るときにその仕組みを学んだことがきっかけです。
なぜにAI?
AIというものはですね、自我がないんですよ。
しかしですね、ChatGPTとかGeminiとかのチャットボット使ったかことがある人だとわかってもらえると思いますが彼らと話してるとまるで人間と会話してるように思えるのです。
自我がないにも関わらずですよ?
AIがなぜあんなに話せるかというとインターネットや書籍などの膨大なテキストデータを学習したからです。
つまり極端な話、AIと話しているつもりの人はその実、どこの誰だかわからないインターネットとか本と会話しているわけです。
いやいや、AIはロボットだから自我ないはずだし、人間にはちゃんと自我があるでしょ。
そう私も思ってた時期がありましたが、ここ最近はそうとも言い切れない気がしてきたのです。
AIが日に日に進化して人間に近づくにつれて。
言い方を変えると人間というのは超高度なロボットだとも考えられませんか?
私の学習データはもしかしたら一緒に過ごす時間が最も長い5人の友達なのかもしれない、と。
そう思ってしまったわけです。
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